牧師紹介
ジャクソン・M・ギャロット牧師
1948年(昭和23年)福岡生まれ。
牧師になるまでの話
父側の祖父は、牧師、母側の祖父は神学校教授、両親は宣教師でした。
10歳の時、アフリカ伝道に尽力したリビングストン師の墓を訪ねた際「私も宣教師になる」と両親に言いました。
高校一年生までを日本で過ごし、アメリカの大学へ進学し、大学では演劇と作詞を学びました。
大学では、カメラが上手で、記念アルバム等で活躍しました。
大学で妻と出会い、卒業の翌日、結婚しました。
現在、娘二人と孫三人がいます。
転機は父が亡くなった1974年(昭和49年)の夏でした。
当時、佐世保にいて、県立大学で英語を教えていました。
長崎では、お盆に爆竹や鐘を鳴らしながら、精霊船を引き回す風習があります。
家の外から聞こえるそれらの音に強い虚しさを感じました。
「偽りの神しか知らないこの日本に、まことの生ける神の愛と永遠の命を伝えたい。」
そう思ってアメリカへ行き、テキサス州の神学校に入学しました。
1978年(昭和53年)神学校卒業。それから、日本へ戻るまでは、バージニア州の教会で牧師をしました。
大村を再び、日本一のクリスチャン都市に
バージニア州で牧師をして過ごした後、その後は、長崎市内の大学で働くことになっていました。
教員ビザを申請するために大学から書類が送ってくるのを待っていましたが、なかなか来なかったため、働く予定の大学へ問い合わせました。
すると、「別の人を雇いました。」と言われました。
すでに、家具なども売っていたので、落胆しました。
落胆のあまり神に祈りました。祈りの中で気づいたことがありました。
当時の私には、献身以外に夢が二つありました。一つは日本に戻ること。もう一つは、カメラで身を立てることでした。
しかし、その二つの夢を神の前に手放しました。それを神は望んでいないと思ったからです。
『主よ、あなたのみこころがなりますように。』
神の計画に従う決心をすると、2ヶ月後、日本の長崎県大村市で英語講師の仕事が与えられました。
神の計画に導かれて日本へ戻り、長崎県大村市へ来ました。1981年(昭和56年)でした。
大村市の歴史を知ると驚きました。
戦国時代、クリスチャン大名だった大村純忠が肥前藩主だった頃。
大村は、人口の約8割がキリスト教徒でした。
大村は、日本最大のリバイバル都市だったのです。
ある日、神から一つの幻を与えられました。
「大村を再び日本一のクリスチャン都市に」
それが、新生の里キリスト教会の揺るがないビジョンとなりました。